リンジン・ジクメ・リンパ

リンジン・ジグメ・リンパ(1729–1798)は、チベットの重要なテルトン(埋蔵経発掘者)であり、彼が体系化したロンチェン・ニンティクは、ゾクチェンのニンティクの中でもっとも広く実践されている。クンケン(一切智の)・ジグメ・リンパと呼ばれる場合もある。
彼は6歳のときにPalri 寺に僧侶見習いとして入ったが、13歳までは他の貧しい見習いと遊ぶのが日課だった。
13歳のとき根本ラマであるTukchok Tsalに出会い、多くの教えを20歳になるまでPalri Tekchok Lingのシェダ(仏教大学)で授かった。その後もロンチェン・ラブジャンパのテキストやその他のニンマ・タントラのテキストを研究し、瞑想を続けた。
28歳のときにマンジュシュリー・ミトラがヴィジョンに現れ、加持を受け、象徴による智慧を悟った。
これをきっかけとして僧侶の服を苦行者の白い服に換え、以後髪を伸ばし、苦行者として人生を過ごすことになった。
ジグメ・リンパがテルトンになる大きな契機は、28歳のとき(本により27歳)Palri 寺近くの洞窟で3年間のリトリートに入っていた際、瞑想中のヴィジョンの中でカトマンドゥ盆地にあるボーダナートの仏塔を右行(コルラ)していた。東側のギャラリーに差し掛かると、突然真っ赤な身体をくねらせた法身ダーキニーが現れ、彼がチソンデツェンとヴィマラ・ミトラの生まれ変わりであると告げ、秘密の箱を渡した。箱を開けると中には、ダーキニーの言葉で書かれた5つの巻物と7つの水晶が入っており、彼がそれを飲み込むとその教えがすべて彼の心に焼き付けられた。その後焼き付けられた教えをチベット語に書き写していった。そのリトリートの間中、グル・リンポチェやイシェツォギャルやラーフラや多くのダーキニーがヴィジョンに現れ、彼を加持し、教えを授けた。この1回目のリトリートの際、タクナン(清浄なる顕現)によってラーフラから授かったテキストが今回の『基・道・果の祈願文』である。

31歳のときサムエ寺の近くのChimpuで、2度目の3年間のリトリートに入った。このとき3度ロンチェン・ラブジャンパがヴィジョンに現れ、直接に彼の著作の深意を伝授した。
そして瞑想と瞑想から覚めたあと(後得智)がなんら変わることがない完全なゾクパチェンポの成就を得た。
リトリートを終え、34歳のとき、ジグメ・リンパはツェリン谷に修行場をかねた小屋を建て、弟子達が集まるようになっていった。
ジグメ・リンパは大きなお寺を建立することを好まず、このようなシンプルなシステムを望んだ。
しかしそれでもジグメ・リンパはロンチェン・ニンティクのテルマを一切公表しようとしなかった。
この頃、Kongnyon Bepe Naljorという者がジグメ・リンパを千里眼で見て、ジグメ・リンパの元まで来て弟子入りし、テルマを開示するよう懇願した。そして35歳になる1764年の6月の10日に15人の弟子にロンチェン・ニンティクのテルマを開示した。
そして次第にチベット中にこのニンティクが広まっていった。
その後、2大弟子と呼ばれるドゥドゥプチェン・リンポチェとジグメ・ギャルウェ・ニュグなど優れた弟子を育てた。また彼の息子はディクン・カギュのチョキニマ・リンポチェの転生者として認定された。そしてジグメ・リンパの転生者として有名なのは、身の化身として、ドゥ・ケンチェ、言葉の化身がザ・パトゥル・リンポチェ、心の化身がジャムヤン・チョキ・ワンポである。
数多いテルマや著作があるが、代表作は、言うまでもなく『ロンチェン・ニンティク体系』であるが、他にも『ユン・テンズー(『悟った徳性の蔵)』、成就法や解説を含む『ヴァジュラ・キラヤ(ドルジェ・プルパ・ギュル)』またゾクチェンの実践法の解説した『イェシェ・ラマの教え』などがある。また、自伝として『水の中に踊る月』『ダーキニーの秘密の語り』がある。